名字力丸のルーツ Ver.2.02


我らの名字「力丸」のルーツは…?

Ver.1.00 04.12.29 新規作成
Ver.1.20 06.01.15 前橋市力丸町訪問を追加
Ver.2.00 07.03.15 内容修正
Ver.2.01 08.12.29 ちょいと手直し。メールアドレスを再び追加。世界の力丸さんいらっしゃい。
Ver.2.02 18.12.22 放置してたけど さよならジオシティーズ対応








2005年9月11日 群馬県前橋市力丸町にて撮影
花はあまり無いけど、コスモスが咲いてました。

1.はじめに

珍しいからなのか、それとも文字のインパクトなのか、すぐに覚えてもらえる我が名字(苗字)の力丸…。
「犬の名前」とか「船の名前」とか「長州力」とか 「ハリケーン力丸」ともいじられる名字力丸。
いったいどこから来たんですか?親類以外で会ったこと無いし。(実はあるけど…)
希に電話で「九州の力丸さん」とか「埼玉の力丸さん」の親類ですか?的な電話がかかって来たり、テレビで何人かの力丸さんを目撃したことはありましたが、 やはり珍しい名字なんだと思っていました。
そんな超がつくほど珍しいと信じていた我が名字を100円ショップの印鑑で見つけたときは衝撃もんでした。(誰が買うねん…いつもオーダーやで)
ひょっとして力丸はマイナー名字界のメジャーネームなんでしょうか。

てか、どっから来たねん…。とある正月にインターネットで調べてみました。

2.いままで

誰もが一度はやってみるであろう自分の名前の検索…。無論、私もやったことがあります。
そのとき、九州だ、東北だ、福井だ…はたまた海外と広範囲に力丸さんが分布していることを知り驚いたもんです。
としても100円印鑑は売れないでしょうけど。

以来、時々検索してしてみたりしましたが、特に何が見つかる訳でもありませんでした。

そういえば、親戚がルーツを調べたことがあったらしく、伝え聞くに…「お殿様(の子供?)の先生として東北から先祖代々の墓まで運んで移り住んで来た。」 なんて聞いたことがありまし た。聞いただけで何の確証も無かったのですが、悪い内容では無かったので鵜呑みにしておきました。

3.真剣に調べる。でも、インターネット検索…

どうも最近ヒマなのと、ちょっと古事記だ日本書紀だと日本のルーツっぽいのに興味を持っていたことも有り、自分の氏神はなんなんやろと調べてました。そこ から改めて力丸って名字はなんなんや…と思い出しました。真剣に起源・祖先を調べてみよう…。インターネットで検索やけど。

ここから人様の文章の抜粋が始まります…。作者の皆様お許しを。

(1) 姫路の力丸のルーツ

姫路藩家老と忠震
http://www43.tok2.com/home/oshimamd/nagaoka/127.htm
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 姫路藩酒井家の職制のうち、首脳部は、家老・城代・年寄で構成され、これを三役と呼んでいます。「嘉永武鑑」によると、姫路藩酒井氏の三役の氏名は、次 のとおりです。
 家老は、高須隼人(はやと)、本多意気掲(いきよう)、河合隼之助(はやのすけ)、内藤半左衛門、本多平馬、河合甚四郎、大河内二右衛門、松平要人、永 田藤三兵衛/城代は、力丸五左衛門/年寄は、酒井利根右衛門、長沢小大夫、北爪弾蔵、柴田伊右衛門(以上、引用)
=============================

どうやら、お殿様とは酒井家だったんですね。てか、力丸さんは城代家老ですか。なんか結構偉そうです…。

(2) どっからきたん?

江戸三百藩HTML便覧−姫路藩
http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/kinki/himeji.html
=============================
陸奥白河より、松平(越前)家が三度目の入封で松平(越前)明矩が入るが、子の朝矩は11歳で藩主となり上野前橋へ。入れ替わって上野前橋より、酒井忠恭 が15万石で、入ってやっと藩主家は安定し、以降、酒井家の支配で、明治に至る。
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なるほど、国替えですね。それで、お殿様とともに前橋から姫路にやって来たのですね。
ということは、前橋にルーツになるものがあるんでしょうか。

(3) マジで…。

群馬県前橋市/文化財の紹介[その他の文化財]
http://www.city.maebashi.gunma.jp/bunka/bunka/zai0105.htm
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名称 所在地
力丸城跡 力丸町
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今まで福岡県の力丸ダムとか滋賀県の地名の力丸は知ってたけど、力丸町ってあったのね…って、城まであるんかい!!はっきり言って盲点でした。いくら何で も自分の名字に城をくっつけて検索するほど自己顕示欲無かったです。城があったなんて…カッコいい…かも。

群馬県の城郭−力丸城
http://obiki.web.infoseek.co.jp/gunma/maebashi_50.htm
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遺構の保存状態    ☆
遺構確認し易さ    ☆
体力消耗度      ☆☆
お勧め度       ☆
☆の数の多い方が良い(または、激しい)
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…。
体力消耗度のみ☆二つですか。
多分、五つ☆が最高なんですよね…。
てか、城跡とは言え写真だと普通のお墓みたいです。
なんか悲しい。


rikimaru
http://member.nifty.ne.jp/ushigome/rikimaru/
(googleさんのキャッシュより)
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力丸の古城跡。
古来力丸町は、足利氏全盛のころ1350〜1360那波日字広宗により築城されたという。

臨済宗善昌寺は室町時代、今から約五百九十年前、応永十五年三月六日に力丸城主大江宗広(力丸氏祖)によって創建された。
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そうなんや。
って、氏祖…。
始めに調べてたけど、これ書くまでは”氏祖”って書いてあることに気付いてなかった…。
即ち、この人が苗字として一番最初に力丸を名乗ったと言うことです。
(ちなみに、ただの地方武士だから姓では無い。姓は天皇から賜るものです。)
※2009/1/4 このネタ元の情報は、今更だがよく見ると内容も文章もおかしい。
 結局は、大江氏末裔の、那波広宗が力丸村に移り住んで力丸を名乗って、力丸広宗になった。
 でもって、力丸城を築城し、おそらく善昌寺も…。

思いがけずしてゴールしてしまった…。これ書かなければ気がついてませんでした。
ご先祖に到達!!
一度、お墓のような力丸城(跡)にお参りしたいものです。

てか、予定ではもっと続ける予定でこのサイト作るつもりだったのに…。

なんとか調べた範囲のことは書いておこう。
忘れない為に…。(皆様のHPが無くなる前に…)


4.お殿様とは。

http://ja.wikipedia.org/
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 酒井氏
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雅楽頭酒井家

広親次男とされる家忠の家系は代々雅楽助(のち雅楽頭)を名乗り、雅楽頭(うたのかみ)酒井家と呼ばれる。酒井雅楽助正親は左衛門尉家の忠次と同じく家康 青年期の重臣のひとりで、三河統一の過程で西尾城主(西尾市)に取り立てられ、直臣最初の城主となる。

その子重忠は関東で武蔵国川越(埼玉県川越市)に1万石を与えられ、重忠の子忠世は前橋藩主、老中・大老となる。忠世の子孫は姫路藩15万石の藩主となっ た。

また、重忠の弟忠利は別家して取り立てられ、川越藩主、江戸城留守居となる。
忠利の子忠勝は老中・大老になり、小浜藩15万石の藩主となった。


酒井氏の大名家

酒井氏の大名家は7家を数え、すべて譜代大名である。明治に至ってともに華族に列し、庄内、姫路、小浜の3家は伯爵、その他の家は子爵を授けられた。

* 左衛門尉酒井家
o 宗家 - 出羽国庄内藩15万石
+ 分家 - 出羽国松山藩2万5千石

* 雅楽頭酒井家
o 宗家 - 播磨国姫路藩15万石
+ 分家 - 上野国伊勢崎藩2万石
o 別家 - 若狭国小浜藩15万石
+ 分家 - 安房国勝山藩1万石
+ 分家 - 越前国敦賀藩1万石

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こんなにパクって怒られないでしょうか…。ごめんなさい。
とにかく、お殿様は、”雅楽頭酒井家”の宗家なんですね。
恐らく酒井家が前橋に移ったときに家来になったんでしょう。
その前は何してたんやろ…。
今度調べてみよう。

5.ほかの地域の力丸さん

簡単にそれらしいの見つけられるのはこれだけです。

力丸ダム
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jdf/Dambinran/binran/All/All_2413.html
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当初河川名により八木山川ダムだったが、昭和40年、完成に当たりダム貯水池の小字名によって力丸ダムの改名。力丸の地名は、戦国時代、力丸という武将が 戦いに敗れてこの地に住み着いたことに由来するという。
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なんで前橋からそんな遠くに行ったのかは分かりません。戦国時代ってアバウトな…。
これが関係しているからか、九州には沢山の力丸さんがいるようです。(うちは親類だけなのに…)


その他
(福井の力丸さん)
不明
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(過去の記憶のみ)
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昔々、”力丸”だか”りきまる”で検索して見つけた個人HPがありました。
ビックリするから止めてほしいHPでの音楽再生で私も好きだったブランキー・ジェット・シティーのロメオがかかってました。
確か福井に力 丸さんだったと記憶しています。(福岡やったかも…)

ここで思い当たるのが、お殿様の酒井家です。
雅楽頭酒井家の「別家 - 若狭国小浜藩15万石」ってことは福井県にも力丸さんは付いて行ったってことなのでは…。
別家にもついていくってことは、力丸家も前橋ではメジャーだったんでしょうか。
残念ながら信長の野望(ゲーム)では見たことなかったですけどね。

今のところはこんなとこです。

6.さいごに

インターネットって凄い。ちょっと本気で調べただけでルーツが分かってしまった。
ところで下記のサイトで調べると…

日本の苗字7000傑
http://www.myj7000.jp-biz.net
(Macではちゃんと見えないよ…)
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順位 苗字 人口
3977 力丸 約2,900 上野国勢多郡力丸邑発祥、大江氏。ほか平氏(筑前)など。
姫路藩、奥州、越後に。
=============================
力丸邑…村ですね。

大江氏の末裔と言えば、中国地方の毛利氏が有名です。歴史が有る故に地味な家紋です。
うちも同じ家紋なら間違い無く…って、調べてないけど違う気がする。

そういえば徳川の時代になるまでの力丸家って調べてない…検索で見つかるのだろうか…。

今後、続くかは不明です。
何故なら自分の為に作ってるので…。

7.追伸

2005年中には関西に戻ることになり、関東に住んでいるうちに力丸発祥の地に参ろうと思いまし た。
と、いう訳で9月11日に群馬県前橋市力丸町に…。
前橋南ICを降りると一面の田園風景?ほんとに田んぼばっかりです。
一応、目的地らしいお寺「善昌寺」の近くにクルマを止めて付近探索開始。
周辺のお墓を調べてみましたが力丸の名も無く、やはり先祖代々の墓ごと姫路に来たのでしょうか。
で、お寺の前の道を東に突き当たったところに記念の石碑




とにかくここに城があったからという記念碑らしいです。
(内容見るといわゆる城じゃ無いと思います。僕が姫路出身だからでしょうか…)
この記念碑の南側に公民館らしいものがあり、そこにも記念碑がありこの辺りの由来とかが沢山書いてありました。
さすがに携帯のカメラでは撮れるレベルでは無かったですが…。
でも、これにはここ力丸に移り住んだ那波宗広が苗字を力丸に変えたことが書いてありました。





で、うろうろしていると明らかに不信に思ったおばさんが「何かお探しですか?」と声をかけてきてくれたので、この付近に力丸さんが居ないか聞いてみると、 多くは無いが力丸さんはいるとのこと。親戚でも無いのでここで調査は終了。

とにかく、ここ力丸から藩主について播磨の地姫路に移り住んだのは間違い無いでしょう。
そして、明治の動乱の時期に士族としては生き残れず農民になったのでしょう。
姫路藩は譜代大名ということで賊軍だったでしょうし…。

2006/7頃
 車での九州の旅の際、力丸ダムを目的地の一つに…。寂しいところでした。

2008/12/29
 親父はもう60歳を越えております。一度、力丸発祥の地である力丸町に連れて行ってあげたい。

2018/12/22
 そういえば、2011年か2012年あたりの10月ごろに親父と力丸町に行ってきた。

以上

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